親善大使

葛西紀明

1 top photo Noriaki Kasai

プロフィール

1972年生まれ。北海道出身のスキージャンプ選手(土屋ホーム所属)。冬季五輪に史上最多の8回出場し、世界中で親しみを込めて「レジェンド」と呼ばれる。1994年リレハンメル団体銀、2014年ソチ個人ラージヒル銀、団体銅。同年フィンランドのルカで開催されたW杯では最年長優勝記録を42歳5カ月で塗り替えた。2002年からフィンランド人コーチを迎え、毎年フィンランドでトレーニングに励んでいる。

 

「サウナにどれくらい入っていられる
のかと思って、チャレンジしたことが
あります。1回10分のセットで、
合計11回入りました」

  • 2018年の平昌オリンピックで、女子ジャンプに出場の伊藤有希選手を応援する葛西とコーチのヴァータイネン。
  • ヘルシンキ工科大学で行った「風洞トレーニング」の様子。
    Photo: Tsuchiya Home
  • Photo: Tsuchiya Home

インタビュー

葛西さんは大会や合宿などで度々フィンランドを訪れていますが、初めて訪れた時のことを振り返っていただけますか?

高校1年生のときにラハティで開催された世界選手権に出場するため、初めてフィンランドに行きました。(フィンランド人のスキージャンプ選手)マッティ・ニュカネン(マッチ・ニッカネン)やヤリ・プイッコネンが表彰台に立っているところで、僕は散々な成績だったというのを今でも覚えています。あれほどすごい観客の応援も初めて見ました。満席で、みんなぎゅうぎゅう押し合って応援していたんです。

葛西さんにとって、スキージャンプの世界王者だったマッティ・ニュカネンは憧れの存在だったそうですね。ラハティでは話しかけたりしたんですか?

いえ、話はしてないです。でもその後、アメリカの大会で会ったときは「俺の部屋に来い」って呼んでくれたんですよ。ニュカネンは2位の銀メダル、高校2年生だった僕は成績が伸びだした頃で7位に入りました。試合後にホテルのレストランで、僕が憧れの眼差しで見ていたら向こうから話しかけてくれたんです。「お前、頑張ったな」という感じで誘ってくれたんだと思います。自分のジャンプスーツとブーツにサインして、僕にくれました。今でも大切に持っています。

いつからフィンランドでトレーニングを始めたのでしょうか?

土屋ホームがフィンランド人コーチを採用しはじめたのが2002年の夏で、それから夏とW杯シーズン前の冬、年に2回フィンランド各地で合宿しています。現在のヤンネ・ヴァータイネンで、4人目のフィンランド人コーチになります。

もう4人のフィンランド人が、コーチとして入っているんですね!日本とフィンランドでは、コーチングの仕方は違うのでしょうか?

いや、違わないですね。というか、フィンランドのコーチになってからもう10年以上経っているので、今はそれが当たり前になっているんです。
それ以前は、僕は無我夢中でトレーニングしていて、あまり休みも入れていませんでした。日本人はちょっと真面目すぎて、休むということをあまりしないんですよね。
フィンランドのコーチング・スタイルは無駄なく効率よく、質を重視したトレーニングでした。休みもしっかり入れて、リフレッシュするんです。犬ぞりやスノーモービルを楽しんだり、(野生の)クマを見に行ったりとか。そういったフィンランドのスタイルを今、僕も後輩たちに教えています。

葛西さんご自身が、フィンランド人コーチを迎えたことによって何らかの影響を受けたということでしょうか?

もちろんです。2002年にソルトレークシティで行われた五輪には、完璧な体を作ってメンタルトレーニングもして挑んだんですけど、散々な成績だったんです。ちょっと挫折してたんですよね。この先どうしようかなと考えているときに、2002年の夏にフィンランドからコーチを呼びました。トレーニングとジャンプのアドバイスをしてもらったら急に変わって、2003年の世界選手権でメダルを3つ取ったんです。フィンランドスタイルによって、僕の夢や希望がまた膨らみました。

日本人とは、アドバイスの仕方が違っていましたね。一本一本ビデオをしっかり撮って見せられ、毎回飛んだ後に細かい指示が出る。夜のミーティングでも、ビデオを見ながらアドバイスを受けました。

ヘルシンキ工科大学に行って、風を浴びながら行う「風洞トレーニング」もやりました。アプローチのポジションでどこに抵抗を受けているのか、飛んだときにどうすれば風を受けるのか、すべてが数値化されるんです。日本にも当時、東京大学に唯一同じような装置がありましたが、古すぎたうえ、ジャンプ用ではありませんでした。

フィンランドに滞在中の思い出で、とくに印象に残っていることはありますか?

(最初の)夏の合宿で、白夜だったのがびっくりしましたね。眠れなくて…(笑)。フィンランドには、普段はおとなしいんだけど、お酒を一緒に飲むと楽しくなる人たちが多かった。サウナがお風呂代わり、みたいなのもありますよね。どこの家にもサウナがついていて。僕もフィンランドに行ったら、毎日のように入っています。

いったいサウナにどれくらい入っていられるんだろうと思って、(フィンランド北部の)ロヴァニエミで2年前、チャレンジしたことがあります。1回10分のセットで、合計11回入りました。後輩と3人でサウナに入ったんですが、彼が鍵の仕組みをわかっていなくて、クールダウンするため外に出たときに締め出されてしまいました。マイナス5度くらいのなか、タオル一枚で助けを待っていて、あれは寒かったですね(笑)。

日本とフィンランドは2019年、外交関係樹立100周年を迎えます。ウィンタースポーツにおいて、両国の関係がどのように発展すればよいと思いますか?

僕はジャンプを通してフィンランドとつながったので、これからもジャンプを続けてフィンランドとの交流を深めたいですし、僕が引退してコーチになったときにはフィンランドに行って合宿もしたいですし、フィンランドの若いジャンパーにもアドバイスして強い選手を育てたい。フィンランドに行くようになってからは、そう思うようになりましたね。

日本からは、ジャンプやクロスカントリーなどがフィンランドで合宿しています。彼らが活躍することで、未来の子供たちにもたくさんスキーヤーやジャンパーが増えたらいいなと思っています。(スキー人口が)増えることによって、活躍する選手もまた生まれてくる。そういった交流を深めていきたいです。

あと僕はサウナが好きなので、いま札幌に建てている家にもフィンランドからサウナを輸入して入れたんです。スキーの仲間やコーチと一緒に入ることをイメージして作って、中庭もあるんですよ。中庭でマッカラ(フィンランド語で「ソーセージ」の意味)を焼いてラピンクルタのビールを飲みながら、サウナに入ることを夢見ています。土屋ホームは家を建てる会社なので、僕の家を機に、サウナつきの家をみんなにも建ててもらいたいと思います(笑)。

インタビュー

葛西さんは大会や合宿などで度々フィンランドを訪れていますが、初めて訪れた時のことを振り返っていただけますか?

高校1年生のときにラハティで開催された世界選手権に出場するため、初めてフィンランドに行きました。(フィンランド人のスキージャンプ選手)マッティ・ニュカネン(マッチ・ニッカネン)やヤリ・プイッコネンが表彰台に立っているところで、僕は散々な成績だったというのを今でも覚えています。あれほどすごい観客の応援も初めて見ました。満席で、みんなぎゅうぎゅう押し合って応援していたんです。

葛西さんにとって、スキージャンプの世界王者だったマッティ・ニュカネンは憧れの存在だったそうですね。ラハティでは話しかけたりしたんですか?

いえ、話はしてないです。でもその後、アメリカの大会で会ったときは「俺の部屋に来い」って呼んでくれたんですよ。ニュカネンは2位の銀メダル、高校2年生だった僕は成績が伸びだした頃で7位に入りました。試合後にホテルのレストランで、僕が憧れの眼差しで見ていたら向こうから話しかけてくれたんです。「お前、頑張ったな」という感じで誘ってくれたんだと思います。自分のジャンプスーツとブーツにサインして、僕にくれました。今でも大切に持っています。

いつからフィンランドでトレーニングを始めたのでしょうか?

土屋ホームがフィンランド人コーチを採用しはじめたのが2002年の夏で、それから夏とW杯シーズン前の冬、年に2回フィンランド各地で合宿しています。現在のヤンネ・ヴァータイネンで、4人目のフィンランド人コーチになります。

もう4人のフィンランド人が、コーチとして入っているんですね!日本とフィンランドでは、コーチングの仕方は違うのでしょうか?

いや、違わないですね。というか、フィンランドのコーチになってからもう10年以上経っているので、今はそれが当たり前になっているんです。
それ以前は、僕は無我夢中でトレーニングしていて、あまり休みも入れていませんでした。日本人はちょっと真面目すぎて、休むということをあまりしないんですよね。
フィンランドのコーチング・スタイルは無駄なく効率よく、質を重視したトレーニングでした。休みもしっかり入れて、リフレッシュするんです。犬ぞりやスノーモービルを楽しんだり、(野生の)クマを見に行ったりとか。そういったフィンランドのスタイルを今、僕も後輩たちに教えています。

葛西さんご自身が、フィンランド人コーチを迎えたことによって何らかの影響を受けたということでしょうか?

もちろんです。2002年にソルトレークシティで行われた五輪には、完璧な体を作ってメンタルトレーニングもして挑んだんですけど、散々な成績だったんです。ちょっと挫折してたんですよね。この先どうしようかなと考えているときに、2002年の夏にフィンランドからコーチを呼びました。トレーニングとジャンプのアドバイスをしてもらったら急に変わって、2003年の世界選手権でメダルを3つ取ったんです。フィンランドスタイルによって、僕の夢や希望がまた膨らみました。

日本人とは、アドバイスの仕方が違っていましたね。一本一本ビデオをしっかり撮って見せられ、毎回飛んだ後に細かい指示が出る。夜のミーティングでも、ビデオを見ながらアドバイスを受けました。

ヘルシンキ工科大学に行って、風を浴びながら行う「風洞トレーニング」もやりました。アプローチのポジションでどこに抵抗を受けているのか、飛んだときにどうすれば風を受けるのか、すべてが数値化されるんです。日本にも当時、東京大学に唯一同じような装置がありましたが、古すぎたうえ、ジャンプ用ではありませんでした。

フィンランドに滞在中の思い出で、とくに印象に残っていることはありますか?

(最初の)夏の合宿で、白夜だったのがびっくりしましたね。眠れなくて…(笑)。フィンランドには、普段はおとなしいんだけど、お酒を一緒に飲むと楽しくなる人たちが多かった。サウナがお風呂代わり、みたいなのもありますよね。どこの家にもサウナがついていて。僕もフィンランドに行ったら、毎日のように入っています。

いったいサウナにどれくらい入っていられるんだろうと思って、(フィンランド北部の)ロヴァニエミで2年前、チャレンジしたことがあります。1回10分のセットで、合計11回入りました。後輩と3人でサウナに入ったんですが、彼が鍵の仕組みをわかっていなくて、クールダウンするため外に出たときに締め出されてしまいました。マイナス5度くらいのなか、タオル一枚で助けを待っていて、あれは寒かったですね(笑)。

日本とフィンランドは2019年、外交関係樹立100周年を迎えます。ウィンタースポーツにおいて、両国の関係がどのように発展すればよいと思いますか?

僕はジャンプを通してフィンランドとつながったので、これからもジャンプを続けてフィンランドとの交流を深めたいですし、僕が引退してコーチになったときにはフィンランドに行って合宿もしたいですし、フィンランドの若いジャンパーにもアドバイスして強い選手を育てたい。フィンランドに行くようになってからは、そう思うようになりましたね。

日本からは、ジャンプやクロスカントリーなどがフィンランドで合宿しています。彼らが活躍することで、未来の子供たちにもたくさんスキーヤーやジャンパーが増えたらいいなと思っています。(スキー人口が)増えることによって、活躍する選手もまた生まれてくる。そういった交流を深めていきたいです。

あと僕はサウナが好きなので、いま札幌に建てている家にもフィンランドからサウナを輸入して入れたんです。スキーの仲間やコーチと一緒に入ることをイメージして作って、中庭もあるんですよ。中庭でマッカラ(フィンランド語で「ソーセージ」の意味)を焼いてラピンクルタのビールを飲みながら、サウナに入ることを夢見ています。土屋ホームは家を建てる会社なので、僕の家を機に、サウナつきの家をみんなにも建ててもらいたいと思います(笑)。

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